放送作家・町山広美の映画レビュー
『落下の解剖学』『テルマ&ルイーズ 4K』

InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。

殺されなかった女はどこへ向かうのか

「それってあなたの主観ですよね」でネットの人気者は相手の発言を無力化してみせるが、事実と主観を対抗させることはすでに罠である。

 『落下の解剖学』は、そういう罠についての映画だ。死体がおかれ、法廷の場面が多くを占めるミステリーのかたちをとるが、見極められるのは死の真相ではない。

 フランスの雪深い山に立つ山荘。死体の発見者は、視覚に障がいを持つ11歳の少年ダニエルだった。上階から転落したのは、父親のサミュエル。なぜ転落したのか。やがて母親サンドラに嫌疑がかかる。法廷では、「妻による殺人」を立証する物証がないため、夫婦の関係が焦点に。

 サンドラは小説家、私生活を題材にフィクションを書き、そこそこ売れているようだ。家事を多く請け負っていたのはサミュエルで、40歳の今も小説家を目指したまま書けないまま。2人は愛し合い「人生を共にしている」が、小説の書き手同士、人生に起こる出来事を題材として取り合っていた、執筆のための時間を奪い合っていたとも言える。落ちたのか、落とされたのか。

 事実は多面的だ。そして人は他者の言動を言葉で再現する時、物語のかたちを借り、自らの想像や価値観で断片を接着する。当人が語るにしても、自身の感情を凍結保存できるものではなく、推察や後付けが混じる。また、その場で発した言葉だけが思いのすべてでもない。真実は複数の、多面的な事実の奥にある。

 法廷には罪を決する目的があり判事に決定権が集中するが、法廷ではない、例えば報道の場でSNSで、事実の多面性が削ぎ落とされることは、真実から人々を遠ざける罠ではないのか。

 監督/脚本のジュスティーヌ・トリエは、本作で意外な仕掛けをしている。雪深い山荘のロケーション、元教師で永遠の作家志望という父親の設定、さらに息子の名前まで、ホラー映画の傑作「シャイニング」が下敷きなのだ。かつて不全感に押しつぶされた父親は狂気に引きこもり、妻子を襲ったが、本作ではどうなるか。

 同じ断片で構成しても、響く調べは変わる。劇中に使った音楽も、複数のバージョンが知られている有名曲を選び、複数の意味が読み取れる企みに気づかされて唸った。

 法廷に、夫婦が諍う音声データが提出される。男女の声を頭の中で入れ替えてみるとその言い合いは、才能を発揮する場をあらかじめ奪われた妻が、夫の抑圧と無神経を告発する、という長年繰り返されてきた光景だ。行き着く先は耐えかねた妻が夫をぶすり、男女逆転の本作ではサンドラが殺される成り行きのはずだが、果たして。

 サンドラもまた、抑圧に喘いできたことが告白される。カップルの内実は単純ではない。積み上げられた時間と局面が、何層もあるだろう。

 事実をかき集めて、それでも見えない真実は自分で選び取るしかない。世界は不完全なのだ。ダニエルはそれを引き受け、子どもの時間が終わる。

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