放送作家・町山広美の映画レビュー
『サントメール ある被告』『CLOSE/クロース』

InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。

「語る」ことへの疑い
「なぜ?」より向こうへ

よくないことが起きていたのに、映画の中に戻りたいと感じる。知りたいわからないことが残っているから。いろんな記憶や考えが脳みそに浮上する感覚があったから。
 『サントメール ある被告』もそうだ。実話というより「実際に行われた裁判」を素材に、答弁などをそのままセリフにもしながら映画化。脚本は、これまで7本のドキュメンタリーを撮ってきた監督、その盟友である映画編集者、そして日本語訳も多い小説家という3人の女性が完成させた。
 かつてナチスの猛攻に屈した町サントメールの海辺に、生後15カ月の娘が置き去りにされ、死んだ。被告である母親ロランスはセネガルからの留学生、セネガルの公用語はフランス語だけなのに、彼女には「完璧なフランス語を話す」という形容がついてまわる。それは元植民地からの移民女性が知性的な言語を使いこなすことを「意外」と評する人々の差別意識を表すだけではない。この映画では、言語がとても重要な役割を担う。
 もうひとりの主人公は、この裁判を傍聴する作家ラマ。彼女は夫に愛され、講義の壇上ではとても堂々としているのに、実家で母親を前にすると迷子の小さな少女に戻ってしまう。疎外感を抱えているようだ。
 セネガルから移民した両親のもとフランスで生まれ育ったラマは、同じ出自をこれまでの作品で明らかにしてきた監督アリス・ディオップの分身だ。ロランスもラマもアリスも、移民を経験した母親の願望と葛藤と失意を知る身である。
 裁判は、被告ロランスの罪と動機を導き出そうとするが、果たして。
 しかしその答えよりも多くの問いが広がっている。冒頭、ラマは夢の中で、幼子を抱えて海に向かうロランスを見るが、夫は彼女が「ママ」と泣き叫んだという。妊娠中だとやがて明かされるが、彼女は何を恐れるのか。最終弁論で語られる「母と娘」の繋がりについての「科学的」な解説は素晴らしい演技も相まって感動を呼ぶが、涙しつつも奇妙な話ではないか。産まない娘も母親との細胞の共有に囚われるのに、息子たちはなぜ距離がとれるのか。この解説は女性にかけられた、呪いですらあるのでは。
 「呪い」は、被告ロランスも口にする。取り調べにあたった判事が困惑し、「自身の文化と絡めた説明」を求めて、彼女は自身の混乱に「呪い」を当てはめたのだ。自らを「西洋的な合理主義者」と表現し高度な教育を受けたロランスはこういう「セネガル人ならでは」を期待=要求する場面に何度も遭遇するうち、自己を引き裂かれたのではないか。移民や他国にルーツを持つ人々の多くが、この要求に悩まされ、自虐的に「ならでは」を演じる自傷的行為にさえ向かう。
 被告ロランスがウィトゲンシュタインの哲学を研究したいと望んだことが、不相応だと裁判で嘲笑される。だが、言語を「生活形式の一部」と定義したその哲学は、多言語のセネガルでエリートだけが占有するフランス語を完璧に身につけながら、フランスで部外者扱いされる彼女にこそ身近な学問ではなかったのか。
 ロランスはいつも裁判所の木の壁に消え入りそうな色を着る。ちゃんと見なくては見えない存在。監督の問いかけと仕かけは絶え間ない。
 『CLOSE/クロース』では13歳の、大親友の少年たちに悲痛な出来事が起こる。謎も、物語を動かしたり作り手の意見を際立てるための悪役も登場しない。セリフも少ない。オーボエの演奏会で、少年の震える目を見逃すと、映画の感想は違ってくるだろう。
 あの年頃のいろんな体感が、強烈な鮮度で体内によみがえる。知らないはずのベルギーの花畑の匂いさえ。

『サントメール ある被告』

2022年 フランス 123分 監督:アリス・ディオップ 出演:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、ロベール・カンタレラ 7月14日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開

『CLOSE/クロース』

22年 ベルギー・フランス・オランダ 104分 監督:ルーカス・ドン 出演:エデン・ダンブリン、グスタフ・ドゥ・ワエル、エミリー・ドゥケンヌ 7月14日(金)より全国公開

文=町山広美

放送作家。「有吉ゼミ」「マツコの知らない 世界」「MUSIC STATION」「あざとくて何 が悪いの? 」を担当。下北沢一番商店街の 書店「BSEアーカイブ」店主

イラスト=小迎裕美子

※InRed2023年8月号より。情報は雑誌掲載時のものになります。
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