【6月公開映画】放送作家・町山広美の映画レビュー『フォーチューンクッキー』、『親友かよ』
執筆者:InRed編集部
InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。
映画は人情は青春は、国境に足止めされない
外国産の映画に100%の関税。その政策の狙いは、アメリカで映画を作る時代を取り戻すことだそうだ。
ところでハリウッド以前、カリフォルニア州初の大規模な映画スタジオが造られた都市は、フリーモント。それは『フォーチュンクッキー』の原題であり、お話の舞台でもある。市の一角は、リトル・カブールと呼ばれている。アフガン人が多く暮らし、主人公ドニヤもその一人。近隣のサンフランシスコ市に通い、中華街にあるフォーチュン(おみくじ)入りクッキーの工場で働く若い女性だ。
クッキーにおみくじを入れる単純作業、工場と一人暮らしの自宅の往復。それ以上の何かをうまく望めず、不眠に悩む日々。けれど、おみくじの文言を作る仕事に抜擢されると、そこから日常が動き出し、やがてある男性からメッセージが届く。
淡々とした会話、調子っぱずれのかすかな笑い、簡素でありつつスタイリッシュなモノクロ画面。ジム・ジャームッシュ監督の影響は明白だ。だが「ああいうやつね」と甘く値踏みすると、所々で蹴つまずく。石ころに見えて実は地中に巨大な本体が居座る、そんな問いが転がっているのだ。イラン生まれイギリス育ちの監督ババク・ジャラリがこの小さな映画を通して見せる世界は大きい。「ドニヤ」には「世界」の意味もあるという。
アフガン人の隣人の一人は、彼女を軽蔑する。一人は、難民らしい振る舞いを指南する。彼女はかつて米軍基地で通訳を務めていた。アメリカへ脱出できたが、一方で同じ通訳の多くが現地に取り残され、タリバンに殺されたといわれている。家族にも危害が及ぶ可能性があり、戻ればその身も危険だ。
何かを期待していいのか。ドニヤを動けなくしているのは、罪悪感だけではない。隣人の一人は、故郷の星はこんなに動かなかったと嘆く。地を覆う空からも切断された、居場所の定まらなさが苦しい。
ドニヤを演じるアナイタ・ワリ・ザダ自身も、タリバン復権後にアフガンを脱出、アメリカに来て間もないという。カメラはその沈黙に閉ざされた顔の威厳を前に、何度も立ち止まる。
叫び、怒りを解き放ったドニヤの前にふっと現れる男性を演じるのは、ジェレミー・アレン・ホワイト。登場の一瞬で映画らしい時間が流れだす。ずるいくらいうまい。
長いラストカットは強く心に残る。カリフォルニア本来の緑豊かな自然はアフガニスタンの人たちを故郷に、映画史においてはこの地で撮影されたサイレント時代の名作、例えばチャップリンの『放浪者』に接続する。100年前の主人公は一枚の手紙で愛を手放し放浪に戻ったが、ドニヤは一枚のおみくじに書いた言葉で愛に出合う。彼女はここに心の置き場所を見つけるだろうという予感で映画は閉じられる。
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