放送作家・町山広美の映画レビュー
『aftersun/アフターサン』『TAR/ター』

InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。


映画が父殺しを語る時代
もうそれは終わっていた

加速している。#MeToo以降、映画の作られ方と見方は更新され続け、新たな局面に達した作品が、今年は続々と日本公開を迎える。
 まずは『aftersun』。始まってしばらくは、映画に入り込みづらい。90年代のいつかの夏を、11歳の女の子が30歳の父親とリゾートホテルで過ごした記録。ビデオカメラでお互いを撮り合った映像はエモいけれど、再現の精度の高さはわかったから、早く普通に見せて、と急かしたくなる。
 でもずっと続く。映画は11歳のソフィの視覚と聴覚に準じ、そこがトルコにある英国人向けのリゾートで、トルコ系らしき父親は彼女の母親と別れて数年経つこと、その後の生活がうまくいってないこと、これは大人になったソフィの回想らしいこと、が少しずつわかるくらいだ。
 観客も、もどかしい視界と時間感覚に放り込まれ、強い太陽の光を浴びてぼうっとしてくる。そしてぼうっと、自身の子ども時代に大人と過ごした時間が脳みその大海に浮上してくる。催眠術をかけられたみたいに。
 やがて、大人のソフィが、自身の父親が若くして子を得たがやがてその手から失ってしまった悲しみ苦しみに心を近づけていくと、観客も同調する。例えば私は三宅島に向かう船で、父親と二人きりで過ごした人生でほぼ唯一の時間を思い出した。
 脚本・監督は87年生まれの、シャーロット・ウェルズ。父と娘の間に性別や性的役割が根深く立てる壁、その壁に狭められない視界が開かれる瞬間を、言葉ではなく体感として描いた。長編デビュー作でこんなことができるなんて、驚きだ。そして没入するには、ぜひとも映画館で見ないと。
 『TAR』も絶対に映画館で。だってこの凄まじい情報量を受け取り、精緻な音響設計の隅々まで味わうには、猛烈に集中する必要がある。
 ケイト・ブランシェットが超人的な技能と情熱で降臨させたのは、名門ベルリン・フィルで女性として初めて首席指揮者にのぼり詰めたリディア・ター。作曲家としてエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞を総舐め、自伝も出版予定だ。女性指揮者のための財団を早くも設立し、後進の指導にも労を惜しまず、人徳もある。フィルの実質的リーダー、第一バイオリンをつとめる女性との恋愛も、養女を得て順調そのもののはずだった。しかし、完璧で豊かな交響曲のごときターの日々に、不快な音がまぎれ始める。
 フィクションだが、既存の固有名詞が各種出てくるし、近年の出来事に重ねられる要素が満載で、そわそわさせられる。いわゆるキャンセル・カルチャー、過去の言動を理由にした排除が有名人に鋭く向けられること。一面的な正義を振り回してのネットリンチ。SNSで非難されないことが基準になってしまった社会倫理などなど。
 やがて露わになるのは、ターの成功もその振る舞いも、これまでの男性の成功者と同じ醜さをなぞっていること。支配し、搾取する権力者だ。
 映画が、アマゾンで録音「採集」された民族音楽で始まることは重要である。ターは音楽民族学を学んだ経験をアピールポイントに使ったし、やがて向かう破滅の先にも、白人社会優位の目線が影を落とす。
 お題は、搾取と模倣。かつて映画で何度も、男性の権力者をめぐる父殺しの物語として描かれてきた崩壊が、ターを通して上書きされるのだ。女性もまた搾取の構造の一員であり得る、という危うい指摘をするのにトッド・フィールド監督は怯まない。さらには、長く評価が追いつかなかった女性監督、シャンタル・アケルマンの名作から、シーンを堂々と模倣し物語のヒントを得てもみせる。企みに満ちた指揮による、悪酔いもまた愉悦なミステリー。

『aftersun/アフターサン』

22年 イギリス・アメリカ 110分 監督:シャーロット・ウェルズ 出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン・ホール 公開中

『TAR/ター』

22年 アメリカ 159分 監督・脚本:トッド・フィールド 出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス 5月12日(金) 公開中

文=町山広美

放送作家。「有吉ゼミ」「マツコの知らない 世界」「MUSIC STATION」「あざとくて何 が悪いの? 」を担当。下北沢一番商店街の 書店「BSEアーカイブ」店主

イラスト=小迎裕美子

※InRed2023年6月号より。情報は雑誌掲載時のものになります。
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