放送作家・町山広美の映画レビュー
『せかいのおきく』『帰れない山』

InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。


汚くておそろしい自然
「世界」という超自然

 累計1000万部突破、「うんこ漢字ドリル」はひき続き大当たり中だ。「おもしろ」が大好きな官公庁とのコラボも続々。リスクの低い「おもしろ」、ちょうどいい「禁忌」として商材化したのは「うんこ」というワードであり概念だ。実物はそうはいかない。臭い汚い圧倒的現実。
 だから『せかいのおきく』が江戸時代の下肥買い、糞便を肥料として買って売る仕事を扱う映画と知り、危ぶんだ。当時の人々の営みがエコで素晴らしいと未来から褒めちぎるのにも、職業についての差別を時間的安全距離を確保した上で憂うにも、便利に使われかねない。
 だが、この映画は実物を容赦なく投げつけてくる。当然だ。脚本・監督は阪本順治。情熱のありか、人間のはらわた、社会の暗黒にずぶずぶ差し込む太い腕の持ち主だから。
 そしてこれは監督が得意とする、美しい青春映画でもある。クソみたいな世の中で、そう思い知ってもなお、一瞬の光を夢見てしまう。そういう心持ちの人物を初めての時代劇、表情豊かに作り込まれた美術セット、モノクロ映像に力を得て、今までで最も陽気に活写してみせるのだ。
 ささやかな恋愛と親愛が描かれる。けれども7章仕立てのこの映画は、物語を追うのではなく、映画の中に生み出された時間をともに過ごすのがいい。豊潤な90分になる。
 登場人物は池松壮亮がなんとも愛らしく演じる下肥買いの矢亮、相棒の中次。彼らが出入りする粗末な長屋の住人の中には、場違いな武家の父娘がいる。父親は勘定方を勤めた藩を訳あって去り、娘おきくにはほのかに心寄せる人が。
 しかし世の中の仕組みは残酷で、見渡す限りろくなことはない。それでも若い彼らは仕組みの破れ目を見つけて、見えないその先に望みをつなぐ。現代は世界が見渡せてしまう分だけしんどいように思うが、世界全部が見えると思い込んでいただけでまだその先があるんだと、そんな希望を手繰り寄せたくなる。
 『帰れない山』でも、2人の男の強い結びつきが映画の太い幹をなす。実体験を素材にしたイタリアのベストセラー小説の映画化。アルプス山脈にしがみつく僻村でひと夏をともに過ごした、都会の少年ピエトロと羊飼いの少年ブルーノの長い物語だ。
 大人になる。再会する。互いの人生を思いやり、再び心を結ぶ。父親の思わぬ秘密も明らかになる。そこまででこの映画はまだ半分だ。
 それぞれの人生の迷い道はさらに深まっていく。物語る息の長さに驚いていると、問われる。世界の中心にそびえる難攻不落の高い山を極めんとするか、それを世界の周辺で囲む8つの山すべてに挑むか、どちらを果たす者が世界をより多く学ぶことができるのか。人生への向かい方が問われる。そして「帰れない山」はいったいどの山を指すのか。
 自分の理想を追うブルーノ。遠く放浪するピエトロ。どちらにも山の自然は希望を与え、しかし冬になれば苛烈だ。死が近づく。それぞれに父親を否定して生き惑い、「誰かを守ることなんてできない」と口を極める。弱さを否定し強さを求める男性性、その遭難がこの映画では語られているのだと思う。脚本・監督は夫婦夫婦による合作だ。
 両作ともコロナ禍のもとで立ち上げられ、自然の一部としての人の営みを容赦なく見つめ、そこに金が絡むことの歪さからも目を離さない。だがその上で、北イタリアの山で中年男たちはうなだれ、江戸の若い衆はやけっぱちで笑う。どちらの世界への向き合い方にも心を寄せられるのが、映画の楽しみというものだ。

『せかいのおきく』

2023年 日本 89分 脚本・監督:阪本順治 出演:黒木華、寛一郎、池松壮亮 公開中
©2023 FANTASIA

『帰れない山』

2022年 イタリア・ベルギー・フランス合作 147分 監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ 出演:ルカ・マリネッリ、アレッサンドロ・ボルギ 公開中
© 2022 WILDSIDE S.R.L. - RUFUS BV - MENUETTO BV - PYRAMIDE PRODUCTIONS SAS - VISION DISTRIBUTION S.P.A.

町山広美=文

放送作家。「有吉ゼミ」「マツコの知らない 世界」「MUSIC STATION」「あざとくて何 が悪いの? 」を担当。下北沢一番商店街の 書店「BSEアーカイブ」店主

イラスト=小迎裕美子

※InRed2023年月5号より。情報は雑誌掲載時のものになります。
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