放送作家・町山広美の映画レビュー
『オッペンハイマー』『美と殺戮のすべて』
『美と殺戮のすべて』は現代美術界のスター、70歳になる写真家ナン・ゴールディンの伝記映画でもある。
もうひとつの縦軸は、自身も被害者であるところの、オピオイド中毒をもたらした製薬会社とそれを率いる資産家一族への抗議運動だ。一族は慈善活動に励み、美術界の大スポンサーだが、巨万の富の多くは鎮痛剤が中毒性を持つとわかっていながら販売を続けたことで得られた。ゴールディンは痛み止めとして処方されたこの薬で、中毒に苦しむことに。被害者は膨大、全米で20年間に50万人を越えるという。
戦後の豊かさを謳歌するアメリカに生まれたゴールディンだが、社会からはぐれ、同じく吹き溜まった仲間たちのドラッグとセックスに塗りつぶされた日常や自身の赤裸々な性愛を撮った。80年代の写真界は、アウトサイダーの生態をさらす薄汚れたスナップに驚き、時代の寵児に。
彼女のこれまでの人生と、美術界の重要人物としての影響力をフルに使っての抗議運動を呼応させる構成。ローラ・ポイトラス監督は手さばき鮮やか、最後に結実する感情の昂りには凄まじいものがある。
冒頭の引用とともに、姉の死の真相そして作品と抗議活動の結節点が謎とかれる。見えないふりをして地獄の火元を隠すことがどれほど邪悪か。真実に目をつぶるな。過酷な状況にあって自身とそれを取り囲む世界の残酷さから目を逸らさなかった姉の声が、彼女には今も響いている。
『オッペンハイマー』
23年 米 180分 監督・脚本:クリストファー・ノーラン 出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr. 3/29(金)より全国公開
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『美と殺戮のすべて』
22年 米 121分 監督・製作:ローラ・ポイトラス 出演・写真&スライドショー・製作:ナン・ゴールディン 3月29日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国公開
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文=町山広美
放送作家。「有吉ゼミ」「マツコの知らない世界」「MUSIC STATION」を担当。江東区森下で、新刊も古書も雑貨も扱う書店「BSE」を運営。
イラスト=小迎裕美子
※InRed2024年4月号より。情報は雑誌掲載時のものになります。
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