放送作家・町山広美の映画レビュー
『オッペンハイマー』『美と殺戮のすべて』

オッペンハイマー イラスト=小迎裕美子

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InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。

地獄をつくるのは簡単だ
見ないふりをすればいい

「人生とはおかしなもので、無益な目的、無慈悲な必然性に基づいている。自分のことを深く知り得たとしても大抵は手遅れで、悔やみきれない後悔が残るだけだ」。20世紀直前に発表された、ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』の一説が映画の終幕に思わぬかたちで現れて、観客の心臓を強く握りつぶす。

 でもその前に、『オッペンハイマー』だ。大航海時代を生きたコンラッドが見抜いたように、西欧の植民地主義は猛威をふるい、20世紀は戦争の世紀として終わった。終わった、と胸を撫でたのは今世紀冒頭の感触で、地続きの恐ろしいニュースが矢継ぎ早に届く。そんな今、この映画は戦争の世紀における最重要人物のひとり、オッペンハイマーの生涯を語ろうとする。

 「原爆の父」その栄光と悲劇、と副題がつく近年書かれた評伝を原作にしながら、オッペンハイマー本人目線で語ることをクリストファー・ノーラン監督は選んだ。戦後にソ連のスパイと疑われる「悲劇」から掘り起こしておいて、若い日の彼が苦悩しながらも研究の場を得て、陸軍から原爆開発への参加を求められ、開発成功という「栄光」に邁進する経緯を描いていく。 

 この監督の代名詞になっている「難解さ」は、伝記映画だけに控えめだ。大半が本人目線なのに、冒頭に、「悲劇」よりも後に起こる出来事を客観的に描くパートが組み込まれていてちょっと戸惑わせるが、これが「悲劇」の謎ときになっている仕掛けは、お見事。 

 有名俳優が次々登場して実に華やか、映像と音響には企みと挑戦が妥協なく凝らされているし、何かしら開発の結実を描くことに成功した作品が備える高揚感ももたらす。同時に国家という、人類が生み出しながら人智を超えた怪物の恐ろしさ、そして怪物と一体化して世界の覇権を狙い、一人一人の命、ましてや他国の国民の命を顧みることなどない、権力の亡者たちの醜さを糾弾してもいる。 

 では、オッペンハイマーは大きな力と時代に翻弄されただけだろうか。もちろん違う。いくつも選択の機会はあった。しかし完璧な計算に美を見ることができていながら、彼は暗い可能性に目をつぶった。人類が終焉に向かう時計の針を、動かしたのだ。

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